毎日できることが増えていく喜びー死ぬまであきらめないつもり。
自分が、周りから呆れられるようなとんでもない性格だということは自覚しています。
亡くなったお義父さんにも、
はいはい、なんでもしてくだはれ・・・。
と呆れたように、でもどこか嬉しそうに言われていました。
私が新しいことをやり出したり、お料理の腕を上げていくことを喜んでくださっていました。
私のどうしようもなさは、次に挑戦することがなくなると、もう、とんでもなく退屈してしまうということです。
ある日、とんでもなくしんどかったであろう日々を、愛おしく懐かしみだして、それを表現した2人の人には心底呆れられました。
まずは実家の母。
そして、まあ、先生。
母に、今回は相当呆れられたんですけど、○○の時代は楽しかったなあ。乗り越えることがいっぱいあって・・・、と言って、何にもなくなったら、退屈することをいつも認めてくれる母にも呆れられました。
と言ったら、
とんでもなく呆れて、それは・・・、と珍しく母の意見に納得されました。
今、受験生の指導をしていて、ああ、この子たち、合格したら、今とは全く違う世界に飛び出していくのだなあ・・・、といつもしみじみ思っています。新しい世界で、のびのびとはばたいて行ってくれることを願い、そしてできることなら、日々が楽しいものであるように、入学してから勉強が幾分余裕めであるようにと、そのことをいつも頭に置いて指導しているのですが、自分が合格した時など、合格はどうってことなくて、それまでの努力をこそ思い出していたことを思っていたりします。
いつもそうなのです。
私は過程ではめちゃくちゃ苦労するし、その状況を打開しようとあれこれ努めます。
絶対にあきらめないのです。粘り強さには定評があります。
この粘り強さゆえに、大阪よりもむしろ高岡の方が気質に合っている、という人もおられるくらいです。
だから出てしまった結果がありがたいのは、次にやるべき課題を作ってくれるからです。
何かを成し遂げてそれで終わりだなんてもったいなさ過ぎます。
次に何を挑戦しようかな?と思い続けなければ・・・。
赤ちゃんは、首を振ることができたら、次は寝返りしたいし、お座りできるようになったら、次はハイハイしたい。
立てるようになったら歩きたい。
大人のすること、お兄ちゃんやお姉ちゃんのすることは全部したい。
だから、転んで痛い目にあっても、動きが小さいからそうそう痛くはないのかもしれないし、恐怖も感じられないかもしれないけれど、何が何でも挑戦していく。
私は、赤ちゃんの姿にこそ、生き方を教えてもらっているような気がします。
人まね子ザルのおさるのジョージの気持ちが私にはよくわかります。
今だに、あれこれ興味関心をもって、あれしたい、これしたい、と言っている私に、母は、
小さいときと一緒。なんでもしたがって・・・。
と笑っています。
勉強って、次から次へと知らないことが出てきて、次に行きたくなるものです。
英語の知らない表現を一つ覚えたら楽しいし、数学の一問が解けるようになったら次に行きたくなるものです。
おしゃれもそうかもしれません。
この髪を試してみたら次も違うものをしてみたい。
こういう服を着てみたい。
人に勧められて買ってみたお洋服がとんでもなく重宝した。
新しく保湿のための何かを使ってみたら、それが乾燥にすごく効果的だった。
ある調理器具を試してみたら、重宝だった。
片付け術、掃除術。新しい洗剤を試してみること。
それから、一日の過ごし方。
朝は何時に起きて、夜は何時ころに眠ったら、次の日が活用できるか?
何をすればリフレッシュできるのか?
入浴剤はどれがリラックスできるか?
どの食品の組み合わせが、身体にいいか?
代謝に良い食べ方をしていると、少し食べたら、身体がポカポカしてきたりします。
そういう日々の工夫って、とんでもなく楽しい。
というわけで、死ぬまで楽しいことを見つけて、楽しんで実行!ということを続けていたいと思います。
それから、先日、ある方に、
乗り越えましたね・・・。
と言っていただきました。
年末から年始にかけて、プライベートで、周りからは乗り越えた、と思っていただけることがありました。
仕事をしながら、しかも冬期講習があり、大学受験は送り出すのに必死でしたから、周りから見たら、とんでもないことをしていたようです。
本人には自覚こそなくて、ただただ、目の前にやるべきことがある・・・、という感覚でしたが、周りの方々のおかげで乗り越えることができました。
ただただ、周りが良くしてくださいました。むしろ私がわがままを言って、ご迷惑をかけたのではないか?とずっと心に引っ掛かっていました。それをむしろ謝ってくださるというありがたさでした。
こういう時、私は、いつも満足感でいっぱいで、大変だった、とは思いません。
なんにもなく終わったことで、充実感と達成感と、また一つできることが増えたわ!という満足感とで、どうしても、楽しかったわ!と思ってしまうのです。
少しばかり不謹慎かもしれません。
それに私の立場では偉そうだったのではないか?出過ぎたことをしてしまったのではないか?という発言にも、きちんと対応していただいて、前向きにお話が進んだのでした。
それに、何よりおかしいのは、そういうときこそ仕事が私を助けてくれていて、教師席に座ったらもう、いつも、ワクワクドキドキしているのです。
というわけで、後は大学受験と高校受験の県立入試です。
下級生たちもとんでもなく頑張っています。
その姿に、何より励まされ、若い人たちとお付き合いしている分、いつも挑戦している姿に触れていて、彼らの人生に自分の人生も活性化してもらっているのかもしれません。
ありがたや。