お知らせ

青春時代の思い出ードラムと私。

理系の先生に、
櫻井さん、絶対理系だって!
と叫ばれた数年前。
物理の先生に、
評論好きだなんて、絶対に物理と親和性ありますよ・・・。
などと言われて数年。

国語と離れて生きている自分など想像できないし、だいたい人間相手をする仕事しか考えたことがなかったので、若いときに理系だと思ったとして、なにするん?という話であったろうし、もっと言うなら、今ごろそんな指摘を受けましても・・・、という感じだったけど、最近の数学のハマり方を考えると、そしてその楽しさを思うと、あながち間違っているご指摘でもなさそうな気もする。
ただ、結構文系であることに誇りをもっていきてきたし、文学部出身というのが気に入っているので、あまり嬉しい指摘でもない。
相当に優秀な男子にも。
国語だけはお前には勝てん!
と言われていた。
ただ、文系だと決めるのに、決定的な影響を与えたものがあるとすれば、高校時代に部活に入っていたこととは無縁ではないだろうと思う。

あまり人の中に入りたいタイプでもなかったし、華やかな世界に入りたい方でもなかった。
それが、ブラスバンド部に入ったら、高校ではパーカッションというのはとんでもなく目立つパートで、私の性格からは、サッサと止めればいい、という要素満載だったにもかかわらず、変な責任感で続けてしまった。
その責任感は、誰にも理解されない責任感で、だから、一番得意な国語の方に逃げてしまっただけだった。
そう、何もしないでもなんとかなった国語。何とでもなった国語。
国語を専門にしないという選択肢がどうしても思い浮かばない。
もしドラムなど叩いていなかったら、思い切り閉鎖的に、自分の世界にのめり込んで、勉強ばかりしていただろうと思う。
そうならなくてよかったのか、そうした方がよかったのか?

ただ、漠然と高校の先生になることだけは決めていて、それでも、もっと国語力の伸長の激しい中学生に教える方が合っているのではないか?と思い詰め、でも、赴任してみたら、自分には中学生などとても指導できなさそうに思った。

今頃数学のおもしろさにハマっている。
出会いというのはおもしろいものである。
ただ言える。
国語以外の教科に、こと教師としては、自分の魂をささげる気はなかったであろうこと。
どんなに英語や数学や社会が好きであっても、それがたとえば理科であったとしても、やはり国語と離れての人生は考えられなかった。
なぜなら、いつも国語は、自分の人生の中で、私を守り抜いてくれたからである。
努力しようがしなかろうが、もうあなたと付き合う気はないから・・・、的な態度を取っても、いつか必要になったら、必ず社会と結び付けてくれたし、やはり何かの力を蓄えるときには、国語の力がものを言ってくれたと思う。

なんとも言えない思いばかりしていた高校時代。
でも、やはりどこかで国語と共にいた自分しか考えられない。
数学を解いていて、わかったとき、自分が自分の国語力を駆使していたのを感じる。
すべては国語力。
国語だけは、なかなか自分の力だけではなんともならない気がする。
適切な解説を受け、考え方を学び、いろんな知識を取り入れ・・・。
中には、とんでもなく国語に対して能力を発揮する子が要るとはいえ、この教科だけは特別だと思う。

数学はやれば解ける。順番に解いていけばわかる。
でも、国語は、そもそもの力がなければ、一人でできるか?と言われたら、相当に難しい教科なのだろうと実感する。
でも、できたらとんでもなく世界を広げてくれる教科である。

公開:2023/02/03 最終更新:2023/02/03