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親子で会話していますか?ときにはフランクに映画鑑賞会などはいかがですか?

実は、相変わらず、韓流ドラマの『シークレット・ガーデン』にハマっています。
以前にも書いたように、男性主人公演じる、韓国一の人気俳優ヒョンビンは私の好みではありません。どちらかと言えば、先日結婚したばかりの妻の方である、ソン・イェジンの方が好みと言えば言えます。
でも、ヒョンビンが主人公を演じる、『シークレット・ガーデン』が、面白いな、と思っています。

大金持ちの御曹司と、母を亡くし、父までもなくして、孤独に生きてきたアクション・ウーマンが、ひょんなことで恋に落ちる。それも御曹司のほうが、好きで好きでたまらなくて、まるでストーカーのようについて回っていて、女性が振っても、振られたことに気づいていないのか、それとも鈍いのか、自分が振られるわけがない、と思い込んでいるのか・・・。
そして、挙句の果てに、自分の立場を捨てる気もない御曹司は、わが身勝手な関係を要求をしもするのです。
そんな彼に振り回されながら、でも次第に惹かれていく気持ちをどうすることもできない女性。
御曹司の周りの人たちからは恐ろしくひどい表現までされて、何度も辛い想いをするのに、それでも二人は、奇跡に近い関係を成立させ、思いを遂げるのです。その間の御曹司の成長ぶりもなかなか面白い。
眠れない夜に、ちょっと観ていたりします。

このお話、私が好きなのは、お金などほとんど持たないで、命がけの仕事をしている彼女のことを、御曹司の周りの人たちが、ことあるごとに認めた表現をすることなのです。
お金を持たない彼女が、高価なものを送り返してきたときにも、御曹司の元カノの女医が言うのです。
持たない人が送り返してくるのは、相当の気概がある・・・。あなたには手の届かない人かもしれない、などと。
また、御曹司の従兄もまた、あんな純粋な娘はお前にはもったいない、サッサと手を引け!とも言うし、その母も、なかなかの娘、と表現しているのです。
一人で生きてきた彼女には気概があります。
御曹司に対しても、全くひるんでいないし、全くフラットなのです。
きっと一人で生きてきた彼女は、その来し方に自信があるのでしょう。
そこにこそ惹かれているのもわかるのですが、御曹司の方も、なぜかわからないままに、彼女に惹かれ、彼女の中に自分にないものを認めていくのです。
このラブ・コメディは、考える要素が満載です。
人生とは何か?ということをたくさん考えさえてくれます。
また、母親とはどういう思いをする存在なのか?ということにも思いを馳せることができます。
子どもたちの母への愛も。
叔母さんは可哀想な人なんだ、と御曹司の従兄が言います。
それに、俺たちは外見とは違って、どこか歪んでいるよな、みたいなことを言い、ライムという女性が表れてから、その財閥一族の考え方まで変えていくという彼女の素晴らしさは、なかなかに示唆に富んだものがあります。

映画やドラマというと、もう少し硬質のものをお勧めすることが多いのですが、このドラマは、軽くもあり、なかなかに滑稽な要素もありながら、とんでもない視聴率であったということも頷けるだけのドラマだと思います。

もし、お子さんとの関係がうまく行っていなくて、あまり会話もない、というようなとき(よく親御さんから、私たちに会話がないから、と言われることもあります。)、一緒にドラマや映画を観る、などと言うのもいい方法かもしれません。きっかけとしてはいいかもしれません。
映画館のように、コーラやポテトチップス、チョコレートなどを用意して、家でドラマか映画を観てみる・・・。
どこかに会話の糸口が見いだせるかもしれません。

ちょうど高校生の親御さん世代のおじさん、おばさんというような世代の人たちのおもしろさもわかります。
きっかけはなんでもいい。
バーベキューでも、お家で焼肉でも手巻き寿司でも・・・。
ちょっとやり取りする中で、それ貸して・・・、それこっちにちょうだい、などと会話できる方法を工夫してみるのもいいと思います。
家族があまりべったりしすぎるのもどうかと思いますが、程よい距離を取りながら、それぞれがそれぞれの社会と関りながら、でも、何かあったときには家族がいるのだ、ということを確認し合うのは、とてもいいことであると思います。

自由、一人、というのに憧れる時期もありますし、家族が重たいときは誰にでもあるものだと思います。
けれど、自由であり、一人であることには責任も、意外に不自由さもあります。
いつでも誰かがいるのだという安心は、その人が生きていくうえで、私は大切なものだと思います。

先日、私は、私が、少しばかり寂しい思いをしても、かまわない、というような言動をした人に対して、助け舟を出しました。
周りは、私を呆れて?あるいは感心してみていましたが、私がしたことで、その人が少しでも寂しい思いをするような、あるいは不安になるようなことになってはいけないな、と思ったのです。
同じことをされたから同じことをしてもいいということにはならないと思います。それでは、相手と同じレベルになってしまいます。
私は私の自分の軸で生きたい。
だれだって、嫌なことをされることはあります。
けれど、同じことをするなら、それは、その相手と同じになってしまう。
だから、真逆のことをしてもいいと思うのです。

家族のつながりはいつまでたってお家族のつながりです。
大事にしたいものです。

公開:2022/05/10 最終更新:2022/05/10