お知らせ

こちらがたどり着けないほどの深さを持った人と出会って。

幼いころから考え深いと言われてきました。
だからほかの人がどうしてもわからないことをしたときには結構悩みもし、考えもし、必要とあらばなんとか仲良くできるよう自分の考え方を改めもしてきました。
それに、小さいころから、

なんでも真に受けて・・・。

とよく表現されてきたのですが、最近やっとその意味がわかってきました。
それほど深く考えて話されている人ってそうそう多くはありません。
でも、結構みんな傷つきやすかったり、それぞれのコンプレックスと闘っていたりします。

でも、それだからこそ余計に一つ一つの言葉やしぐさにあれこれ考えるのはしんどいなあ・・・、と考えていたのです。

ところが、すぐにはわからなかったけれど、いつも心配りが素晴らしく、頭もよく(最初出会った日に、この人頭の良さの匂いがプンプンする。鋭そうだな、めちゃくちゃ切れるな、と思っていました。)、それでいて、人間的な思いやりと賢さを併せ持っておられる人と出会いました。
それは今まで生きてきた中で、もし私が見抜けない方がいらしたとしたら別ですが、生まれて初めての出会いと言っても過言ではありませんでした。
間違ったことをしたら怒られそうです。
でも、真面目にやっている人が困らないようにしっかり対応されます。
隅々まで神経が行き届いている。
でも、ご自分のことは後回しにされているのも感じられます。
どこか熱血漢でありながら、飄々として見え、どこかユーモアもおありのようです。

何より、心配を掛けないためには、わざと軽い状態であると思うような言葉を掛け、しっかり裏では対応し、状況を知らない間に変えておられるのです。
私はここまでの仕事をしたことがあったろうか?と思わされました。

私は何分正直なので(自分で言ってしまったら疑わしいかな?)、本当のことを言いがちです。
でも、『逃げるは恥だが役に立つ』の主人公であるひらまささんの言葉にあったように、正直に打ち明けることで相手に負担を掛けてしまうこともあります。
私は正直であることを良いことに、おそらく身内には結構負担を掛けることを言ってきたかもしれないとも思います。

でも、その負担もご自分の責任とばかりに、言わないでおいておいて対応だけされていることに気付いたのです。
その過程ではときに恨まれることもあろうし(実際文句を言っている場面に遭遇したこともあります。)、恨まれることもあるだろうと思います。
でもご自分に負担を掛けたり、恨まれたり憎まれたりすることなんてとっくに超越しているようです。

そんな尊い仕事をして来れただろうか?
もちろん、生徒の成績や、クライアントの状況について、嘘ではなく、そうも思われる、そう見える、という点では誠心誠意そう語ることはあります。
同じD半定でも語り方で状況は変わります。
思い方で生徒のモチベーションが上がりも下がりも、諦めもし、より頑張りもするというものです。
言葉を使って人の意欲をかき立てるのが私の仕事。
でも、もっともっと通問い仕事をされている方と出会って、私などまだまだだなあ・・・、と自分の伸びしろを感じているのです。

公開:2023/09/21 最終更新:2023/09/21