ハードルを越え続けることの喜び
どうも、一つのことを乗り越えたら、次にまた、乗り越えるべきものを探そうとする癖があるらしく、私は今、生徒さんの受験について、合格に持って行くことは当然のこととして、自分は自分で7月の試験をとりあえず受けて来ようと思っている。
一つの科目だけ、それまでにマスターしたい、という程度のもので、合格しよう、などとは考えてはいない。
このお正月をめぐり、冬期講習は言うまでもなく、実はプライベートで、これは乗り切ることができるかな?ということがあった。
何でも対応すればいいじゃん!と思っているし、だいたい自分の力に余ることなんか起こりっこないと思っているので、大変やねー、とか、頑張って!という言葉とは逆に、毎日を淡々と送っていた。
こんなの、若いころに比べれば、なんてことなかった。
ときは札幌時代。
子どもたちは、まだ、上の子が幼稚園児の頃。
下の子は2歳児。
そんなころに、とんでもない夏を過ごしたことがあった。
住んでいる集合住宅の中はそれは人間関係的にも大変なはずで、それなのに、半分だけ改修工事をする、ということになり、家は引っ越しをしなければならない側になっていた。
おまけに月のお当番も回って来て、改修工事を請け負っておられる会社にも気を遣うし、当然夫の会社にも気を遣った。
何かあると電話が掛かって来て、対応しなければならない。
いつものことではあるけれど、そのうち、私に言っといたら大丈夫、とばかりに、夫の会社の方からは、後はよろしく・・・。私、明日休みやからね!というようなことまで言われた。
そして、夫はとんでもない案件を抱え、どこかに箱詰めで書類作成に行っていた。
本人は、段ボールの中で仕事して・・・、と周りから同情される、と喜んでいた。
朝だけ、服を着替えに来たり、ちょっとだけ帰ってきたり、当然自分が癒される側で、こちらの事情など考えていない。
そして、娘のバトンの衣装縫い。夏休みにステージがあり、確かパンダの衣装を作った。
いつものステージに比べれば、シンプルだったので、その衣装縫いを負担だとは思えないくらい、ほかのことで大変だった。
忙しいさなか、草刈りをしたい言い出す人もいて、引っ越しの準備のさなか、草刈りもした。
無事引っ越しが終わったら、その後10日後くらいに、富山からお父さんとお母さんが来られたけれど、とてもきっちり準備などできなくて、千歳空港に迎えに行って、一緒に道東を旅行して、社宅の部屋で一晩泊まっていただいたら、不備だったということで、何となく怒って帰られた。
これは日程調整する側の問題であったと思う。
それに、完璧にしていても、どちらにせよ、怒られたに違いない。
それ以前に一回来てもらったこともあったと思うけど、完璧もよくないから。
あの時は、もう乗り切れないか?と思ったけど、怒られたことを別にすれば、なんとかなった。
娘は無事にパンダの衣装を着て踊ったし、夫の仕事もなんとかなった。
草刈りもできたし、引っ越しも済んだ。
事柄としては、何一つできなかったことはなかった。
そういうことって、後の人生で生きてくる。
あの時があったから、今度もいける。絶対大丈夫。
受験とか、自分の大ごとではないけれど、それでも周りに人にまつわる大変な時もある。
いわゆる誰かの世話。
でも、若いときに結構鍛えてもらってきたからか、何事も、そうそう動じない。
今回も、周りから見れば結構なことだったようである。
でも、なんとかなった、というほどもなく、過ぎ去っていった。
若いころ、お料理に寛容な旦那さんを持つと、料理の腕が伸びない、と言われたけれど、その通り、結構若いころ仕込んでもらったので、何か新しいものを作ってみても、外すということがない。
高岡の郷土料理も、やってみたら、おもしろい。
お魚屋さんに、お料理を教えてもらおうとして、
旅の人け~?と訊かれて、苦笑することくらいは、まあまあ。
特によく思う。
もう、目の前にいる生徒さんよりもずっと長く、私は富山で暮らしてきたのだな、と。
さてさて、次のハードルを探さなくてはならない。
7月に一つ。まずはこれでOKだけど、何にもないと退屈し出すのは目に見えているので。
乗り越えた後は安定してやっていける。
だから、ただ足されていくだけで、今までのことをしなくなるということもまずない。
まあ、最近、楽器を弾いてはいないな、とは思うけども・・・。(笑)