お知らせ

ちょうどいいバレンタインデー。

本当は先日ある方にお礼をしなければならなかったのに、自分のことで精一杯だったので、そんな準備をする余裕もなく、他人事ながら、なんだか因果なお商売・・・、などという言葉がサラッと頭に浮かんでいました。

そこで、お中元でもお歳暮でもなく、少しのお礼をするのにバレンタインデーは使えるな、と思い、数年前、兄が、フランスにいた頃に知ったのか、日本に出店しているパリのお店で、大阪には一軒だけある、と教えてくれたお店のチョコレートを注文しました。それと皆様で分けてほしくて、こちらは私がなんの根拠もなく直感で選んだニューヨークのお菓子にしました。
兄と妹は、昔から、気軽に海外に出掛けたり、長年住んだりと国際色豊かですが、私は全然。
だって、国文科やしー!ということで、出不精も許されておりますが・・・。(笑)
それにしても、兄弟3人とも、留学や転勤で、地元大阪を離れて、ぴょんぴょん飛び出していたのだけは似ています。
経歴も選んだ職業も全く違うのに・・・。
それとお料理が好き、ということくらいが共通点かな?
以前ミルフィーユの作り方を教えてもらいたくて、兄にあれこれ聞いたことがありますが、まだまだです。(笑)

私は誰かにプレゼントを選ぶ瞬間が大好きです。
その人が何がお好きなのか?と思いながら選ぶ瞬間が。
ただし、この度は季節のものなので、そうそう選択肢もなく、ある意味そうそう頭を悩ませなくてもいいとも言えます。

お友達に、年末、お歳暮をするという関係でもないので、私は仕事でバタバタするけど、年末のあれこれに忙しくするだろう彼女に、私の愛用している洗剤のボトルと、大好きな入浴剤を一緒にラッピングしてもらって送りました。
そのときは楽しかったのです。
関係性が濃くて、だいたい悩まなくていい贈り物だと、そうそう選択肢もなくて、みんな一緒になりがちで、おもしろさも掛けるかもしれませんが、季節にも関係なく、贈り物をするときの楽しさは格別です。
お世話になった同僚に、桜のワインを差し上げたこともありました。
ワインをワイン専用の箱に入れてもらうのも楽しいですが、その時のラッピングというものもあるようで、それも楽しみでした。
これから進学して、先に旅立っていた兄弟と共に暮らすという人には、兄弟で使う、私が使い勝手良く使っていたプレート2枚を送ったことがありました。そのプレートがあると、なぜか朝食も様になるのです。どうってことない目玉焼きとベーコンとサラダでも、なんだか素敵に見えるから不思議です。

そういえば、兄が留学していたときに、パリから送ってくれたスカーフを私は上手に使いこなしていません。
というのも、今回のお菓子選びに、兄が役に立ってくれたから思い出したのです。
日本に出店しているお店で、僕が一番おいしいと思っているお店が大阪に一点だけあるから、と言って、父が闘病し始めた頃に、私も大阪に帰っていたときに、私たちに食べさせてあげたい、と、東京から新幹線で急いで来てくれたその足で、大阪のお店に立ち寄ってくれたという思い出のお菓子屋さんです。
しばらく私は、兄が持って来てくれた時のその箱を捨てずに取っていました。兄の気持ちが嬉しくて・・・。
可愛い小さなマカロンと、素敵なチョコレートムースとティラミスでした。
家で、お父さんのためにフランス料理作ってよ!と言いながら、時期は受験期。
超絶忙しい妹(私)のせいで?あの話はどこに行ったのだったのかしらん?
そろそろタンスに入れたままではなくて、あのスカーフ、ちゃんと使ってみよう・・・。
私は、ストールは好きなのですが、どうもスカーフはちょっと難しくて・・・。

若いころはいろいろあって、兄など2つしか違わないので、よく兄を食ってた妹のようでしたが、今ごろになって、ああ、昔から純粋な面のある人だったなあ、と思ったりします。
兄がパリに行ったばかりの頃の話を聞いていてと、私は、ある英文で読んだ、海外に行った人の異国でのカルチャーショックから、どのようにその土地に馴染んでいくか?という話を読んで、海外ではなくて、ただ、日本の中の地方から地方に行っても、同じだなあ、と思ったことを思い出し、私はせいぜい何100キロという移動の中での経験でしかなかったけれど、同じようなことを経験したのだなあ、としみじみ思ったことがありました。

最初、異国の地にたどり着いたとき、最初はお客さん扱いで楽しいけれど、生活し始めると、その違いが目につき始めて、そこで日本人とだけ集まってその国の悪口ばかり言っている人は、結局すぐに日本に帰ってしまう。その時期を乗り越えると、いろいろ学べるし、その先その国の良さも見えてくる・・・、というようなことでした。
英文ではその先があって、私こそ、その先を経験して可笑しかったのですが、自分の故郷に帰るときは、その行った先を思う何かそのシンボルとなるものを持って行きさえする・・・、という話があります。

私が笑ったのには、思い当たることがあったからです。
私は言葉なのです。
実家に帰ると、なぜか富山にいるときよりも、富山の言葉をしゃべっているのです。
それが、まるで富山でのアイデンティティを守るかのように、大阪では大阪弁を話すことができないのです。
おかしな話。

公開:2023/01/12 最終更新:2023/01/12