一方的に弱い人なんていないと思っているということ。
大学時代に、ある時、自分の家庭の都合で(今から思えば父の考え方、などという些細なことだったわけであるけれど。)、周りの友人たちよりも不利な状況で部活をしていた。
いつもそのことを気に留めていたある日、突然、周りの友人たちと、私の都合と、いったい何が関係あるのだろう・・・?と思うに至った。
こんな当たり前のことに気づくまで、私はいったい何を独りよがりで悩んでいたのだろう?というくらいの発見だった。
高校時代のみんなは、勉強もするし、部活もするし(加入率100%以上。つまりは兼部が大流行り。)、男女交際もするわ、それ以外の青春のあれこれすべてがあったと思う。
幾分、いやかなり過保護な母のもと、私は自分の殻を破るのに必死だった。
おとなしめだったし、あまり目立つ方でもなかった。
たぶん、高校では相当ある種の変わり種だっただろうと思う。
合ってない、と周りに言われた。
先輩からは、裏口入学の疑いまで持たれた。
確かに美術の成績から言うと疑われても仕方がなかった。(笑)
いえ、五教科は大丈夫でしたって・・・。
大学時代に入学しても、このままでは教員になどなれない。こんな私ではいけない、と自分を鍛えていた。
それが父の目には気に入らなかった。
女性らしくない、というのである。
そんな日々、ある日、自分が抱えていることと、周りの人と、いったい何の関係があるのか?と天啓のようにひらめき、自分の人生の責任は自分で取らなければならないということに、突然気がついた。
そのことを発見して、しばらくして、いろんなことを考えて、私は泣く泣く部活を辞めた。
大学の看板であった、それこそ青春そのものの部活。
寂しかったけど、高校の教員になるために、学問をしようと決めた。
物理的にも結構無理があった。
通学時間が長かったから。
3,4回生は結構勉強した。
そして、まあ、本当に最後の最後に決まったけれど、高校の教員になれた(採用試験を中学校で受験、などというちょっと浮気もしたが、やはり高校国語。)。
そして、勤めた職場の同じ部署に、ある意味、ご家庭のご事情のある先輩の先生がいらした。
ご自分でそう言っておられたから、そういうことになるのだろう。
正直、私が専任教諭で採用されなかったら、その方に順番が回っていた、という関係だった。
当然、その先生がかわいそうという立場になるが、私の方もやりにくいったらなかった。
周りは、私が、「私は教諭よ!」という顔をするようなタイプではないので助かる・・・、と言ってくださったが、そんな個人的なことはどうあれ、仕事をするのには気を遣った。
私は年上は年上、と思っている。
あるとき、周りの私たちが、結構気を遣ってきたことを、まるでなかったことにされるような選択をされて、周りは、怒った。
私は、そんなものだろう・・・、と思っていたので、黙っていた。
そしたら、ある日、「あなた、あの人が自分から希望したって知ってた!?」と訊かれ、
「知ってましたよ。でも、話したら、傷つかれるだろうと思ってたから。でも、いつかこういうときが来るだろうと思ってましたけど。」とは言っていた。
そういう方だろうことくらいはわかっていた。
そして、とうとうその件について、私とその先輩が話し合わなければならなくなったときに、
「こんな弱い私やのに、あなたや、○○さん(相談された人)が味方してくれへんかったら、どうしたらいいか・・・。」と言われて、唖然としてしまった。
その方の言い分では、いつも自分は言われっぱなしで、後輩の私や、その○○さんばかりひどいことを言っていたということらしかった。
それはないでしょう!と叫んでしまった。
自分が一方的に言われっぱなしだなんて・・・。
私なんて、いつも自分が迷惑かけて・・・、と思ってきましたよ。
そんな、そんな、誰かだけが一方的に言われているなんてこと・・・。
と返してしまった。
そこから、先輩も気づかれたことがあったようだった。
私は結構美人なその方ににらまれて怖い思いをしていた。
その方の目を盗むように、自分のしなければならない仕事をしている、という面もあった。
私には私の立場があり、それは教諭として、しなければならない。
職員室では全く主張なさらない方が、私たちだけの場面では結構なことをおっしゃっていた。
最近、ツイッターで、ある気づきを書かれた方のつぶやきが身に染みた。
まあ、わかりやすいご家庭のご事情がある方は、周りが悪くて、自分が正しいと思いやすい、というもので、ああ、なるほどな、と思った。
私も、ちょっとしたことで、一方被害者面していたこともあると思う。
でも、あるとき、これは部活動などをしていて、自分の言動を相対的に見るようになり、それはそれで、周りからもあれこれ指摘もされる機会が多かったということもあるのだろうけれど、自分というものをも誰かにとっては・・・、と思うようになった。
確かに、悪いと思うことはしない。
誰かを故意に傷つけようとはしない。
あまりのことをされたら、まあ、自分の言葉から勝手に傷ついていても、そこには責任はないとは思ったとしても。
最近、ある人の、私は正しいことしてる、間違っていない、と主張するのを聞いて、ああ、これは通って来たところの違いかな、と思った。
誰かと一緒に働く、しかも立場は名目上、同等だったりしたら・・・。
考えてみれば、教員の世界は、担任、学年主任、などがあるだけで、入ったときから、同じように仕事ができなければならない世界で、ある意味、最初から一人前扱い、ではなくとも、できるだけ早く一人前になるように期待される。
誰かの言葉に傷つくことも、反対に自分が傷つけることもある。
私は、大阪から京都の大学に行って、それまでと違って、人知れず男子にひどいことを言っているらしく、怒らせては、私の何が傷つけているのか?と悩んだことが多かった。今になれば理由はわかる。自分一人が悪いわけではないことも。
道徳的には正しくても、善悪で言うなら決して悪ではなくても、人にとってはきつく当たることもある。
間違っていないことが必ずしも間違っていないとも言えないこともある。
わかりやすい弱さはわかりやすいけれど、意外に弱い人が強くなっていることもある。
件の先輩の言葉に傷ついたことも数知れず、そして、仕事がしにくかったことも、気を遣いながら仕事をしていたこともあった。
でも、先輩は一方的に後から入って来た私があれこれ言ったりしたりすることを嫌がっておられたのだろうと思う。
私は強く見えがちだし。
私が先に退職することになったとき言われた。
しっかりした子が入って来てくれたから、私も頑張れたからよかったと思うねん・・・。
へらへらした子やったら、私もええ加減に仕事してたやろうから・・・。
たぶん、職員室でほかの先生の前では、私のことを、○○な子、と子、扱いはおできにならなかった。
私は教諭で、その方は非常勤講師だったから、それは許されなかったし。
そんなところを周りは助かってくれていたようだけれど、私は大変だった。
最近、母にも言われた。
その先生のお立場、大変やったと思うわ・・・。
いったいあなたは誰の母何なんですか!?(笑)