お知らせ

実は、先日からどうしようもない気分を抱えていました。

友人に電話しても、私に味方しているのでは?あるいは、厳しめになったりしていない?と思ってしまうことがあった。
それはあなたのお友達なら、あなたの味方するでしょう?説があったから、いったい誰なら客観視できるというのだろうか?
頼りにしていた人の偏見に満ち満ちた(いや、意外に私という人間を知っていたからこその意見とも言える?)考え方に添うことはできず、結構感情論に近く感じるし、けど、それは誰が見ても正論だともわかっている。けど、人間そうそう放っておけないことだってある。
私がそういう選択をしたのだから、その立ち位置へのアドバイスになろうというものだ。

などなど煮詰まっていた私は、結局ある実務的な事柄のついでに、ちょっと相談してみた。
それでいいのかな?と思いながら。
実は大阪の専門職の人を頼ろうか?と思っていた。
どうして頼ってはならないと思い込んでいたのだろうか?

どう考えても、自分は間違ってはいない。
ただ、人間関係は、正しいかそうでないかでは割り切れないから、自分が寛容ではないのではないか?などと悩んでいたけど、やはり、その場面なら、あなたの想いは普通の気持ちだと思いますよ、と表現されることが多い。
私が上手に話すから、と言われたことがあり、どこかで自分に都合のいいように話しているのではないか?と疑うが、どう見ても、私の立場では、そういう思いになるのが普通ということらしい。
欠席裁判になってはいけないので、私のことを話してもらってもいいのだけども・・・。

こういう表現が出てくるあたり、私が今まで頼りにしていた人の判断はある意味正しいのか?と思われてくる。

今日、ある中学校のそばを車で通ったら、ちょうど下校時間だった。
茶髪だとわかる生徒。思わず中学生?と思ってしまったが、通学バッグを背負っている。
思わず、うわっ!?生活指導大変そう・・・。
と思ってしまった。
学校全体のことを考えると、この茶髪を、何にも言わずに放っておいておいていいわけない。
でも、この子にはこの子なりの事情も、見えているものも、そして気持ちもあるんだろうな、と思った。
学校現場では、そのことに対応する時間などないだろうな、と思う。
何より、中学生時代が一番指導が大変だと思う。
理性、というより、感情、というより、体内から湧き出てくるような、エネルギーもあるだろうし、子どもから大人へと変化する中で、周りの身準にも気づくころだろう。
ゆっくり、この子と話す時間は先生方にはないのではないだろうか?

私は、何かに、先生方にたくさん求め過ぎるのは良くないと思っている。
そもそも先生方には時間がない。
親切にしたくても、親身になりたくても、そんな余裕、どこにあるのだろう?
思いをもって、教員になったとしても、その信念が崩れてしまうようなことも多くあるだろう。
私に、中学校の教員を知ろ、と言われたら、たぶん、無理だと思う。
教科指導の比重の大きい高校でならいいけれど、高校部から中学部を見ているとき、文化祭などで、一緒に作業をして垣間見た中学生の姿からも、私は中学部志望だったけど、とても無理だろうな、と思っていた。
揺れるお年頃。高校生になれば、ある程度、大人になってくるけれど、中学生は、おそらく自分でも自分のことがわからなくなっているだろう。

そんなこんなを考えていたら、一つ一つ生徒たちがすることを不思議に思い、どうも不可解で戸惑っていたことを思い出す。
あの戸惑いがあって、どれほど勉強させてもらったか、人というものを理解するよすがとなったかわからない。

きっといろんなことが経験を通して見えてくるだろう。

公開:2022/10/08 最終更新:2022/10/08