お知らせ

反省をさせていただけることがたくさんあります。発見の日々。まるでプレゼントのような。

すみません・・・。
こんなことを書くと、叱られそうですが・・・。

たまーに、同じ年代の方もおられますが、もうそろそろ、保護者の方々よりも、私の方が年配、ということが増えてきました。
ときに、生徒さんが、私のことを、親御さんよりも若いと勘違いされていて、最近では大喜びしてしまったりするのですが、たしかに、毎日のように、年だ!年だ!と言っている友達に比べれば、私は、元気なようです。
先日も、先生若く見えるよ!だって、元気やもん!
と言ってくれた生徒さんがいました。

そんな中で、ああ、ご不安なんだなあ・・・、と思わされるようなお話をお聴きすることもあります。
もちろん、おっしゃるのだから、もちろん、責任も感じざるを得ないわけで・・・。
そんなとき、対応できることは対応するのですが、一つだけ、思い出すことがあるのです。

私は、息子の時はあまり葛藤もせず、そうそう心配もしなかったのですが、同性の娘の子育ては、本当に、胸が痛くなるような思いもし、彼女が辛い思いをしていると思うと、本当に自分の方が辛くなる・・・。いわゆる子宮が痛む・・・、というような比喩であらわされるような思いもしてきました。
学校の先生に何か言われても、それは同業者(かつて?)だから、先生の大変さもわかるし、先生に何か言っても、それはたぶん逆効果になることは目に見えていましたから、私は、ひたすら謝っていました。

でも、つい、札幌のピアノの先生のことを思い出すのです。
たしかに、先生はご自分のお立場が大事なようでした。
でも、私の選択が間違っていたなあ、と思うし、弾ける、なんて言わない、ちょっと弾く程度のピアノについて、専門家である先生に、要求がましい思いをしていたのだなあ、と思うのです。
娘には、音楽よりも大事なものがありました。
決して音楽を聴くことが嫌いではありませんでした。クラシックを聴きながら、生意気にも、
ただの演奏会の割には良かったねえ・・・、と言ったり、テレビのBSで放送される、ウィーンでのニュー・イヤー・コンサートなどを聴いていても、なかなかに生意気な評をしていました。

そんな娘だから、私は楽しい音楽教室に入れてあげればいいものを、自分なら、その方に習いたい、というタイプの先生を選んでしまいました。
合わないことをさせていたなあ、と思うのです。
合わないことをさせておいて、うまく行かなかったのに、私は、どこかで落ち込んでいました。
もちろん私が適当に弾けることを過大評価される方の眼も感じていました。

だから、お母さま方のお気持ちはわかります。

よく使う喩えに、貯金している人が買ったおもちゃを、貯金していない人が羨ましく思う・・・、というのは変だよね?
だったら、必死で勉強して、これ以上できないくらいに勉強した時に、落ち込めばいいんじゃない?

と生徒さんに話します。

私は常々勉強することは楽しい、と言っていますが、それは、若いころに、自分を追い込んだからです。
眠い目をこすりながら、身体もしんどくなりながら、夜遅くまで勉強していました。
お手伝いもちゃんとしていたんですよ。

でも、その時の、自分なりの工夫が、今に生きていると信じています。
ピアノだって、練習が嫌いだとうまくならないし、弾くことが楽しいというところまではいきません。

生徒さんの気持ちを尊重しながら、でも、ある程度は、自分を追い込むことも大切だと思っています。

などと考えながら、やはり冬期は、私は鬼の櫻井になって、数年前、中三の授業している櫻井先生は殺気立っていて怖かった、と言われるような塩梅になると思うのです。

全く違うお話をお聞かせいただきながら、私はよく子育て時代の、今より若かった自分を思い出します。
そして、全く違うシチュエーションながら、ときに反省をさせていただくきっかけになったり、あるいは、ときには、よくやっていたなあ・・・、と思い返すきっかけにしていただいています。
反省、ということで言うと、私は、お坊様のように、人の話を聞いて、自分の心を客観視することはできないかもしれませんが、自分の子どもたちにしてきたこと、言ってきたことを、客観させていただくことができたとき、まるで、教師をしていることから、素敵なプレゼントをいただいているような気がすることがあるのです。
これは大きな大きなしあわせだなあ、と実感しています。

公開:2021/12/08 最終更新:2021/12/08