お知らせ

勉強すること、一生懸命やることは楽しいこと。努力の楽しさ。

なんでなんだろう・・・?

私はあれこれやることが好きなのです。
小さいころからそうだったようです。

おじいちゃんの道具を触って、あれこれつくってみたり。
大阪のかまぼこにはかまぼこ板がついているので、勝手にのこぎりを持ち出して、くぎと一緒にテーブルやいすを作ってみたり、危ないものを禁止されていたのですが、洋裁をしている母を横目で観察していたので、針が持ちたくて、勝手に何か縫ってみた。

母に発覚した時、父の弟である叔父(叔父が結婚するまでは一緒に住んでいた。)が、

うまいこと作ってるやないかー!

と母をけん制していってくれた。

自由人の私。なんにでも興味ある私が、母の禁止と闘っているのを見ていたのだろう・・・。
叔父や祖母が、あれこれ抜け道を作ってくれた。

庭(そんなにきれいなものではないので、みんな「裏」と呼んでいた。)で、どろんこ遊びをしていて、どうしても水遊びに移行する。
大阪とはいえ、ブラウスの袖を濡らす。
良く風邪をひいては母に心配を掛けて、ちょっと遠い、生まれた病院までバスに乗って連れて行ってくれたものだった。
風邪をひいては心配性の母は辛くなるので、ものすごく怒られた。
それを察しておばあちゃんが、
「あんた、また、お母ちゃんに怒られるで。」と言って、ブラウスを着替えさせてくれたが、当然違う服を着ていたので、バレて怒られた。
でも、私の好奇心は、それで留まるわけもなく、またやってしまっていた。

大人になって、私も親になり、子どもたちには、自分がしたかったことをさせてあげた。
衛生的、という理由や栄養、という理由で、決められていたジュースやアイスクリームやバター。
お菓子だって当然規制が入っていた。

だから自分は子どもたちには、いろんなことをさせてあげた。
駄菓子屋さんにも行かせてあげたし、寒い秋の日に、水たまりでじゃぶじゃぶどろんこ遊びもさせてあげた。
でも、不思議と風邪もひかなかった。
ただ、どろんこ遊びをした服をきれいにするために私の、安くてきれいにしてくれる洗剤研究が始まって、ドラッグストアがよいが増えただけである。
考えてみれば、私と母の子育ては、全くと言っていいほど違う。
でも、ついデザイン性より実質的にいいものを与えたい、という点では似ていて、娘に不自由な想いをさせたのではないかと申し訳なく思っている。

あるとき、実家に帰って、母のメイクをあれこれ押していたら、母が、突然、ちらっとこちらに目を向けて、ふふっと笑い出した。

何?
と聞くと、小さいときから、何にでも興味持って・・・。

確かに、メイクに詳しくなるなんて、私の最後の研究のようではないか・・・。(笑)
一番どうでもよさそうな。(笑)
だいたい、何してもに合わないって?ハハハ。

でも、好奇心はいつしか、それをコツコツ続けなければ、その先には行けない、ということを知るようになった。
勉強も然り。音楽も然り。
そして、最近ではいい師につくことも大切だなあ、と思っている。

先生の存在は大事である。
我流で勉強してもそこそこまではいける。

師について書かれた書物は古典の中にもあれこれある。
自分が教師をしていながら、どうして今まで自分が師につくことを思いつかなかったのだろうか?
ただ、ピアノでは先生との葛藤も経験したし、お料理は先生につきたい、と本当に思った。

でも、何にせよ、一生懸命やること、そうして続けることが大事である。
そうして、自分のできないことは人に任せる勇気をもつということも。

ああ、なんとか国語を一生古文と付き合っていただけるきっかけにしてもらうことはできないだろうか・・・?
私の切なる願いである。
古文は生き方の宝庫であるから。

公開:2021/06/19 最終更新:2021/06/19