衣替えと片付けと掃除から、もし自分の死ぬ時期が分かったとしたらしたいこと。
毎年、中間考査が終わって、期末考査までの子の一時期、ほんの一瞬指導に余裕が出てきます。
それはメンバーにもよるのですが、今のところ、新しいメンバーを中心に、中学生は思い切り快進撃で、数学が、入塾してすぐに前回の定期考査から中間考査で点数がいきなり30点上がったり、確認テストで100点を取ってきたり、理社で今まで取ったことのない点数を取ってきたり、学年2位から1位になった生徒さんもいて、
最近、思い切り手を掛けてるしな・・・。
と一人で喜んでいたりしています。
それに今年は高校の体育祭が遅めなのか、高校生たちはむしろそちらの方で忙しそうです。
終わればすぐに模試で、その後は期末考査が始まるので、私としては気が気でなく、中間考査のあの部分を復習しておきたい、と思いながら、忙しい生徒さんたちに、その分野をやってもらうのは至難の業というところです。
ただ、成績自体はみんなが頑張っているので、例年よりもずっと軽い気分で、休暇の日は、あれこれ家の用事をしています。
昨日の日曜日は、もう大変でした。
今年は実家の方の父の七回忌です。
曹洞宗なので、分骨した永平寺にもお参りし、それから自宅でも法要をお願いしています。
だからというわけでもないのですが、普段気になるところのあれこれをいろいろできるのはこの時期だし、昨年も同様にあれこれやっていたのを思い出します。
家の中を徹底的に片付けて、もしも自分が亡くなっても、残された人たちが困らないようにしておこうなどと考えています。
私が一番気になっているのは、本です。(笑)。
もしも、余命宣告などをされたら、まずは落ち込むより先に、自分の本を段ボールに詰め、古本屋さんに持っていくか、ネットであれこれ、今流行りのところに送るかしなければ、この大量の本だけは、誰に頼んだとしても、大いに迷惑するだろうと思うのです。
何度書棚を足しても、すぐに増えていく本。
それもそのはず、先日も、あれこれしなければならないことはあるくせに、つい本が読みたくなり、原田マハの文庫本をサラッと三冊注文してしまい、仕事と片付けに邁進したその夜、ほんの数十分だけ読んで床に就いたのでした。
とはいえ、値がない。
一冊アッという間に読んでしまい、あれほど渇望して注文したのに・・・、ということになってしまいます。
思えば、娘も息子も、本を買うことが、私の懐具合に任されている時代は、あれこれ買ってほしいと言っていたのに、私の、当時三倍は速く読んでいたので、買ったお金があまりに呆気なく・・・。
母の懐の痛み具合など、どこ吹く風なのが、嬉しくもあり、どこか寂しくもあり・・・。
どこかの旦那様がお亡くなりになり、奥様が処分にお困り、という本を何度かいただいたことがあり、それも、
これ、どうにかして・・・、と思いながら、やっと片付け始めて・・・。
などとおっしゃるのです。
ついでに、
息子に、これだけは一階に下ろして、って頼んで・・・。
などとおっしゃっています。
素敵な奥様をお持ちのご主人様は、死んだ後を愛する奥様に託してお亡くなりになられるのでしょうが、そんな素敵な人たちを持たないで、きっと不良のレッテルを貼られている私のような女性は、自分の本をしっかり始末してからしか死ねないなと思います。
本を処分しながら、恨まれるなんて、考えただけでもゾッとします。
そうだ!飛ぶ鳥跡を濁さず、で、徹底的にあれこれ処分して、というのが良かったりするかもしれません。
その分、西郷南洲の言葉ではありませんが、
児孫に美田を遺さず
ということで、母さんは財産ではなく、徳を遺したのだ・・・。
などというのはいかがでしょうか?(笑)
遺す徳など、どこに持ち合わせているのか自分でもわかりません。
そうだ!いいな。
もしも余命が分かったとしたら、徹底的に服から楽譜から、楽器から本から、調理器具などから、全部、死ぬ時までにカウントダウンして、まるで引っ越しの時のように、業者さんにあれこれ交渉して売却したり、死ぬ日まで、コツコツとあれこれ家の中のものを少なくしていくッというの・・・。
誰もそういうことをしたことがないから、死んだときには思い出の品をあれこれ、とか言われても、何にもないっていうのをやってみたいかもしれません。
あれこれ売却したお金で、思い切りおいしいものを食べに行き、どこか素敵な温泉にでも浸かりに行く・・・。
それから、夢があるのです。
今時お葬式などしないかもしれないけれど、もしされるようなことがあったら、ビデオレターを作って、参列者を思い切り笑わせるのです。
来てくれた人が泣こうと思い、きっと泣くだろうと思っている式で、授業中にそうしていたように、落ち込んでいる人たちを、思い切り笑わせて、スッキリさせて帰っていただくのです。
あの人、最後まで、あの調子やったな!
っていう感じで。
それに、できたら、死ぬ間際まで授業をしていたいのです。
来週、私、もういてないから、来週のあの文章、解説しとくわ・・・。
みたいな。
だから、今週にビデオ撮り、とかいうくらいに、あっけらかんと旅立ちたい。
あっさりと。
よく、卒業生に言います。
先生のことなど覚えていないくらいに楽しく過ごしてほしい。
と。
でも、もし私で役立つことが合ったらいつでも聞くからね。
と。
誰かの意識に残っているというのが苦手かもしれません。
いろいろな送別会というのも苦手で、自分のためにあれこれしてもらうことが嫌でした。
それに、私はどこに行ってもそこでの暮らしが精一杯で、かつての何かというものと付き合っていくことが苦手なのかもしれません。
生徒さんだったらそれは仕方のないことなのかもしれませんが、どこかで誰かの記憶に残っているということが、誰かの意識の中に存在するということが重いのかもしれません。
なんでまた、こんな話になってしまったのかしれませんが、
そうだ!片付けたい!と思ってしまいます。
死ぬときこそ、飛ぶ鳥跡を遺さずで、誰にもどんな人だったかを想像できるような人でなくて、生き残った人たちに、自分の痕跡を感じさせたりしないくらいに、きれいさっぱり片付けていきたいと思ってしまいます。
なんでも、私は生命力が旺盛なようで、昔、京都の八坂神社で、友人と一緒に手相を見てもらったときも、友人が、
あんたな、くよくよ悩むからほら、手にしわができて、手相が薄なって・・・。
と言われているのに、私ときたら、
あんたは生命力が強うて、ほら見てみ。二重生命線になってるやろ?
と言われたのでした。ついでに、思い切り笑い話ですが、
あんた、教師に向いてるねんけどなあ・・・。
ただ、あんた、勉強嫌いやからなあ・・・。
とおしゃったのでした。
となりで友人は大笑い。
そのときに、人の上に立つのが向いてるから、大企業か、教師、とのことでした。
西洋占星術では、おうし座上昇宮てんびん座ということで、どちらかと言うと情に流されやすいから、一番上に立つよりも、二番手の方が向いてるとのことです。(笑)
だから、根本的には占いを信じることができません。
私のようなバタバタと走ってばかりいる人間は、きっとその話している間に運勢まで走っているのかもしれません。
ただ、ちょっとやそっとのことでは死なせてはもらえないだろうなということくらいは、感覚的にはよくわかっています。
だから、もし死ぬことになったら、ぜーんぶ片付けておきたいなと思うのです。