過保護な私が自分で車を運転して、母に病院に「連れて行かれた」こと。(笑)ー高岡の個別指導塾&相談室チェリー・ハッピー
この一か月ほど、私は咳をしているらしいのです。
ときどきしていることに対しての自覚はありましたが、でも、大して気にも留めていませんでした。
ところが、日曜日に私が咳をしていると強く主張した母に負けて、月曜日にいつも掛かっている大きな病院に行くことになりました。
なんて言うたらええのんかなあ・・・?
と母に尋ねていたのですが、
そのまま言うたらいいやん?
とのこと。
ふ~ん・・・。
と思っていたのです。第一その病院には、先週の火曜日、もうとんでもなく忙しいさなかに何とかして行ってきたところです。そのときに、咳のことを先生にお尋ねするようにと言われていたのですが、他に聞きたいことがあったので(自分のことではなくて。)、そっちに気を取られていて、自分のことなど忘れていたのでした。そばにいる母も忘れていたのです。
だいたい、ここのことろ、中間考査と英検とそして自分の創作活動と、法事の準備とで、あれこれあれこれバタバタバタバタしていたので、咳のことなど忘れています。ついでに、母が、最近お気に入りになったスーパー(古本屋さんがある。)からハガキが来て、何でもある日に行けばお洋服が二割引きで、そのセールに行きたいとか、お友達のお家に行くので、○○でお菓子を買いたいなどと、なかなか通なことをおっしゃるので、用事には事欠かなかったのです。先日、そのスーパーで、母に選んだ半袖のお洋服が相当気に入ったらしく、こういうの、味を占めているというのではないかしらん・・・。
それに、その日の前に行った時には、私の羽織で気に入ったのを見つけて、
いいやん・・・。
というので、それを買ったばかりで、それこそ母のものも選ばなければなりません。
なんでも、長袖をストックしておきたいとのことです。
もう原稿の締め切り間際に出掛けてきたのでした。
だから・・・。
(私は忙しくて、)咳のことなど気にならないんですが、母が気にしていて、何でも夜にもしているらしく・・・。
と看護師さんに話すと、
どうする・・・?咳止めでも?でも、本人は気になっとらんがやもんねえ?
とおっしゃるので、
母が、ああ、ここにいるんですが(と、小さい母を引っ張って来て、)、小さい母なんですけど、まあ言ってみれば母が気にして「連れて来られた」んで、とにかく母を納得させていただければ・・・。もしよかったらレントゲンの一枚でも撮っていただけたら・・・。だいたい、母は私が大事過ぎるんです。過保護過ぎて・・・。こんなことで来て、すみません・・・。
と話して大笑い。
初診で行っていたのですが、ちょうどいつもお世話になっている先生が出ておられて診てくださるとのことでした。
診察室に入って行くと、先生もニヤリと笑っておられます。
きっと看護師さんからの話も聞かれていたのでしょう。
なんでも母の方を見て笑っておられたとのこと。
本当に軽いことで、こんなことで来たら迷惑だろうと思うのに、母を納得させなければ、というのが病院で診察を受ける本旨です。(笑)
ちゃんとめでたくレントゲン撮影をして、診察もしてもらって、異状なしということで、先生は、
どうします?ご本人は気になっとられんのやもんねえ?
とのことで、まあ、様子見ということになりました。
小さいころから、特に私のことについては母は神経質でした。
幼稚園でも小学校でも、先生方が呆れるほどに私のことは心配して、ちょっとのことで病院に連れていかれていました。
この母は、結構ほかの兄妹にはおおらかで、寛容でもあるのですが、どうも私のことには神経質です。
だから、他の兄妹がしたことを私がしたとしたら、絶対に大騒動になっていただろうと思うことはたくさんあります。
洋服も母好み。嫁入り道具も、なんとなく母の好みだったようで、その後、
〇ちゃん(妹)やったら、もっと個性的な家具を選ぶと思うわ・・・。
と言われたときには、ちょっとブチ切れましたが、伯母などからも、
流行りの関係ない、いい色で、飽きが来んでいいわ。○○(従姉)は、私が「そういう色は飽きが来るから。」って言うのに、派手な色選んでしもて・・・。
と言われた通り、長年、古くもならず、自分に馴染んで、引っ越し先について来てくれました。
たいてい、母の言うことは正しいし、それでいいのだと思っています。
とはいえ、ときに自由がほしくて、他の兄や妹は失敗を許してもらっているようで羨ましくもあったのです。
ただ、基本的に母と私は好みが似ています。
昔、赴任したばかりの学校から、校外学習で、奈良の「シルクロード展」に行ったことがありました。
自分の物は買わず、お世話になっている人への更紗の柄のハンカチを買ったのでした。更紗のハンカチは、もうこれでもかというほどにいろいろな色のいろいろな柄のものがあったのです。
それはたいそう喜ばれて、良かったのですが、なんと知らないうちに父と「シルクロード展」に行っていた母は、私にお土産?を買って来てくれていたのです。
それが、なんと私が、お世話になっている方にお渡ししたハンカチと同じ色で同じ柄のハンカチでした。
これ、○○先生にお渡ししたのと同じハンカチやわ。
と言って大笑いしたのでした。
母のことを笑っていますが、私も娘のことで、小児科の先生にご無理を言ったことがありました。
娘の体調が悪く、近くの耳鼻科が風邪も診てくださるというので、受診しました。先生は様子を見ましょうとおっしゃいましたが、薬局で不安を話すと、薬剤師さんが、
じゃあ、○○病院に走りますか!?
と背中を推してくださる形で、大きな病院に行くことができました。
札幌で、四歳の頃にマイコプラズマ肺炎を起こして、自分が気付かず、先生も気付かれず、結局他の人の勧めで大きな病院に行ったところ、マイコプラズマ肺炎で、入院させてもらえないところを、無理にお願いしたら、結局4~5日と言われたのに、退院まで10日も掛かってしまい、今回も、なんだか気になるということを話してお願いして、やっと血液検査をしていただけることになったのでした。
先生方がお忙しいことはよく知っています。どうしてそのことに気を留めることになったのか、同級生たちや先輩たちのことを考えていたのか、それとも同じ集合住宅にお住いの先生方のお家を想像していたのかはわかりません。ただ、お忙しくて、大変だということも、寝る暇もないということも知っていました。
だからいつもなるべく無理は言わないようにしようとは思っているのです。
でも、母親の勘が、これは良くないと感じています。
血液検査の結果、わずかにマイコプラズマ肺炎に罹っているということがわかり、娘は点滴していただけることになりました。
診ていただいた先生は、勤務が終わられて、後のことは夜の担当の先生に頼んでおいたから、と一言言ってくださって帰られました。
とにかく、娘がちゃんと処置していただけて、本当に嬉しかったのです。
肺炎に比べて、マイコプラズマ肺炎は、症状は重いけれど、命に関わることはないから、と確か最初に娘が罹ったときにお聞きしていたと思います。
それでも、娘にこれ以上しんどい思いをさせたくなかったのです。
四歳の頃は、まだ乳飲み子の息子を抱えて、娘にあまり気持ちを向けてやれていたなかったのではないか?と反省しました。
パパが、上着を着せずに外に連れて行ったから、私は風邪を引いた。
と娘は主張していましたが、それだって、どうして気付いたやれなかったのかと思うと胸が痛みます。
その後、本当に丈夫だった娘の身体が、幾分弱くなったのを感じていましたから。
母にも、私についてのそういう経験が、あったのかもしれません。
そんなことで神経質やと祖母に言われて、病院に連れて行くことを控え、酷くなって病院に連れて行ったら、肺炎になりかけていたということがあったらしいのです。
いつもは私が母をどこかに連れて行くのが専門ですが、今回はいつもと立場が逆転で、本当におかしな受診でした。
そう言えば、昨年の今頃、まったく見当違いな乳がん騒ぎがあり、病院に着いて行ってくれたことがありました。
こちらに来てこの方、誰かの世話をすることはあっても、誰かに世話されることがなかったので、ありがたいと言えば言えます。
母は何かあると、デイ・サービスもお休みして、「連れて行ってくれる」のです。(笑)
これが、妊婦のときだったり、子どもたちが小さい頃だったら、本当にありがたかったことだろうと思います。
夫の会社では、そういうご家庭が多かったのだけれど、それでも、本当に大変だったころに、母がそばにいて、いろいろ助けてもらえることができていたら、と若い時代のことを思います。
母は、
なんともなくて良かったけど、私のお友達の○○さんは、ちょっとしたことで病院に行ってみたら、大きな病気やったってこと、あったんやから。
と言っています。
まあ、それは正しいことなんだけどね、と私も思っています。