創作活動と私ーどんな夢でもかなえられるという話 高岡の個別指導塾&相談室
今日は教室の自習室だけを開けて、私自身の指導は休講だった。
今のところ日曜日にお休みをいただくことができているという状態なので、ゴールデン・ウィークとは言うものの、明日からはまた普通に指導をする。
今日は、すべての活動を休止して、久しぶりに執筆活動をしていた。
要するに創作に時間を割いていたのである。
思えば前々回の病院での受診の折に、あまりに文献を漁り、文章を書くということで、以前勉強を激しくしていた頃と同様に、やはり翌日しんどくなって頭が重くなるので、漢方を処方してもらった。でも、それからほとんど先に進んではいなかった。その間に、話の展開が変わってしまい、以前の文章に感動がなくなってしまっていた。
創作はいい。
現実の世界の登場人物とは仲良くできなくても、その世界で仲良くすることができる。
虚構の世界では、現実の世界で嫌な思いをしたことについてのフラストレーションを解消することができる。もし該当する人物が存在したとして、その人が読んで自分のことだと気付いたとしても、その人に言わせれば理不尽なことなどしていないはずであるから別に問題にはならない。
現実の人と相思相愛になることもできれば、おそらくそれはしないが、誰かの愛する人を自分の愛する人にすることもできる。
モテない女がモテる女になることも、なんだったら陽キャで有名な人が悲劇のヒロインになってみたければなることもできる。
スクールカーストの上位の人物になって、素敵な青春時代を過ごすことだってできる。
深層心理的に大っ嫌いな職業の人と仲良くなることもできる。
以前大阪の谷町筋のある所で開かれた文学セミナーに、高岡ご出身の先輩の先生と一緒に参加したことがあった。
文学散歩のための勉強をしに行った。
そのときに、織田作之助の『夫婦善哉』もほかの作品同様に扱ったが、なんでも織田作も、少年時代に意地悪された人物を作中悪者にして、幼き日の思い出の中の人物に仕返ししたらしい。
かつて法律家について、言葉を武器にする人、という表現をした方がおられたが、一方文学だって負けているわけではない。
もしも読んでいただくことができたら、社会に何らかの影響を与えることだってできる。
とはいえ、私など駆け出しにもなってない。
ノーベル賞受賞者である、偉大な高校の先輩と、国文科の出身で、大阪市から茨木市に引っ越した、という共通点と、母校愛の弱さは同じようなものがあるが、何せ経験と才能と、そして文章修業が違いすぎる。
先輩は名作が映画化されて、それはそれは美しい映像となっていたりする。
でも、そんな孤独な人生はヤダなー、と思わされる方である。
というほどその世界を知らないが、とはいえ、読めば読むほど、その作品世界の独特のまとまった世界観と文章のうまさ(こんな表現していいの?)に唸らされる。
だからちょっと、後輩も、やってみようと思うのである。
先輩がすなる文筆活動というもの、後輩もしてみんとてすなり・・・。
ふふふ。
ちなみに、この文章中、私はあるむかーしの恋愛を成就させることにした。
その恋愛に行きつくまで、私は自分の人生の棚卸をする羽目になっている。
でも、書けば書くほど、いろんな発見があり、私の心は整理されていく。
今年の卒業生に、
今年は絶対に応募するから・・・。
と言っていたのだけれど、
なぜその賞にしたかというと、賞金が結構たくさんだったから、という単純な理由にした。
長めのほうが書きやすいし、どうせ入賞するわけないなら、頑張ってみる方が面白いから。(笑)
とにかく提出することだけを目標に書いてみることにしている。
今日でやっと三分の一まで書けた。
私の恋のお相手は、
俺とお前が何でくっつくねん!
と怒りそうだけど、でも書きやすいんだもーん!
文章の中での私は美女としたいところだけれど、さすがにそういうことまではできず。
大阪の中の島を歩くところ、ちょっと素敵かな。
でも今のところ、恋愛にはできず(恋愛経験がなさ過ぎてわからない。)、いいお友達と言うかいつの間にか同志になってしまっている。こういうところ現実が虚構に思い切り反映されている。先日お誕生日のお祝いに連絡をくれた(プレゼントをくれた、ではない。)大学の先輩から、また恋愛の話などを聞かされそうだったので、取材してみようかな?とアホな可能性を考えてみたりしていた。
先輩のほうがずっと私よりお若く生きておられるようで。
それにしてもお誕生日に、たくさんの方からお祝いのメッセージをいただいたけれど、その方々のほとんどの方をよくは存じ上げず。
なんだか失礼な感じもしながら、それでもお誕生日におめでとうと言われるのは、嬉しいもので。
登場人物の立ち位置以外は全部虚構です。ふふふ。