お知らせ

一人の人間がいろんな顔を持つということ

昔、郷ひろみさんの歌で、
How many いい顔~?
という歌がありました。

最近私は、この歌を、中学英語の数を聞く表現で散々使わせていただいていますが、ちょっとコミカルなこの歌、よーく聴いてみるとなかなかに深い意味をもちます。
一人の女性(男性もですが。)はいろんな顔を持ちます。
処女に少女に娼婦に淑女~。
How many いい顔~?
というのは男性からの視点でしょうけれど、そうでなくても、仕事の顔、家庭での顔、その他いろんな場での顔があります。
それに合わせて着ているものも言葉遣いもそして話す内容も変わるものです。
仕事場での表現を家庭に持ち込んだら、それこそ喧嘩ばかりになってしまいそうですし、家庭の顔で仕事をしたら、舐められてしまいそうです。(笑)
舐められて、という表現はどうかと思いますが、厳しさの必要なところで、家庭生活よろしく受け入れてばかりでは仕事は進みません。
役割というものがあります。

というのも、私は昔からカメレオンと呼んで!と言っていたくらいその場その場を楽しんできたのです。
一つの役割で終わるのはつまらなくて、仕事場では仕事しか考えてないような顔をして、そして家では家のことしか考えていないような顔をして、それぞれを楽しんできました。
そんなことやっていられない、という説もありながら、でもその場で自分の与えらえた役割と果すということも大事です。
やらなければならないことならばどうせなら楽しんでやりたい。
それに今までと違った場所に行って、違ったお付き合いをしてみれば、自分の内面から違う自分が現れてくるようで、おもしろかったのです。
一つのところにいればその一つのことからしか引き出してもらえないものが、いろんなところに行くと、違う自分を引き出してもらえます。
そう、自分の志向であちこち行くのはいいのですが、それも、周りからの要請?で違った場所に顔を出してみると違う自分を引き出してもらえる。

私の場合、たまたま地方に来ました。
都会育ちなので、正直都会の良さがあまりわかりません。あまりに自然で、それはあまりに退屈です。
新しく来た地方のおもしろさの方が、ずっとバラエティに富んでいました。
今でも大阪育ちの私にとっては、その規模を大きくしただけのような東京にはあまり魅力を感じません。
でも地方にはたくさん面白い文化もあり、それが個性を持って強烈に私に訴えてきます。
美術館や博物館やコンサートホールの大きさには圧倒されるというものの、そうたくさん行くことができないのなら、むしろ地方でこまめに丁寧に聴きに行った方が意外にいい演奏を聴けたり、あるいは展示を見ることもできたりします。
高岡市美術館で見た絵で、今も心に残っている絵が何枚かありますし、これ!とお気に入りになった絵は、京都の美術館でではなくて、金沢の美術館で出会ったのでした。
その絵を見て、思わず、

ほしい・・・。

とつぶやいて、周りを静かに笑わせてしまったときのその雰囲気を今でも忘れることができません。

今日もいつもは参加しない会合に出席してきます。
さてさてどんな私と出会ってくるのでしょうか?

公開:2023/08/26 最終更新:2023/08/26