お知らせ

夢は大きく・・・。ー大きな夢があります!

若いころから教育が好きで、専門の国文よりも心理学の授業をたくさん取っていたり、教職教養が大好きだったこともあり、教育が大好きだった。
もっと言うなら教育でできること、もししあわせになることができるのなら・・・、と思ってきた。

戦争中の話がまだ日常の中に残っていた世代である。
どこか苦労することが大事であるかのように思っていた。いわゆる昭和。
どこでどう思ったのか、そんなことどこで体得したのか、人間のしあわせの大元って食べることだと思った。
おいしいご飯を食べて精神を安定させることって大事だと思う。
それから子どもたちを見ていて、結構ストレス抱えて家に帰ってくるのだから、家でくらいダラーンと過ごさせてあげてもいいのではないか、と思った。
今ならジェンダーだとか言われそうだけれど、小さな息子は息子なりに立場をいただいて、後輩を引っ張って行ったり、先輩の背中を見て育っているのを見ていたときに、
ああ、男の子って、こうして外に出ると気を張って大変だから、家の中で親父のようにリビングで片手を枕にしてテレビを観ることも大事なのだろうと納得した。
野球の練習から帰って来て、脱衣場で砂だらけの練習着を姿脱ぎにしてお風呂にザッパーン!とお風呂に入っても、これくらい許してやろうと思った。どうせ一人暮らしをして自分で自分の世話をする頃になったら、自分なりの合理性を体得していくだろうと思っていた。
仕事も持っていたから大変と言えばそうでなくもなかったけど、それで家でいったんリラックスできるのなら私にとって安いものだった。

そんなこんなで家庭の意義を考えていたのか感覚で受け留めていたのか?
若い私なりに家庭というものの存在意義をどこかでこうだと思っていたのだろう。

だからか、教室を主宰していてもできるだけ神経が鋭いままではないように気をつけてきた。
受験勉強をするのにリラックスしてどうする?という面もありながら、緊張で張り詰めていたら、それこそ入るものも入らない。
人の中にいてもリラックスできる力が大事である。
小さいころからいつも叱られるかわからない状態では、そしてなんで叱られるのか、明確な判断理由がなければ子どもは安心して生きて行くことはできない。
家庭に暴力のあるうちのお子さんなどは典型的で、それこそ複雑性PTSDになったりもするだろう。

正直、大学受験を目標にした場合、それは言葉は悪いが効率が悪い。
できたらすんなり伸びていただきたいのである。
だからというわけではないけれど、できたらお腹一杯ご飯を食べてもらえる場所を提供したい。
そして、その先はわからないにせよ、したい勉強を思い切りできる場を提供したい。
これは何か構想があるというよりも漠然とした願いである。だんだん詰めて行って、それを実現させたい。
私はぼーっと思っていたら、それがいつの間にかかなっているということが多い。
まだまだ十年先くらいかなあ・・・、と思っていたその数か月後に成立したことも多かった。
いつもいつの間にか夢が実現して、そうしてこともあろうにしばらくやると退屈し出す。
次がほしくなるのである。
私を一つの所に留めさせておくのは不可能である。

だいたい興味関心が多すぎる。
でも、それは全部人のために使う。
自分の経験のすべてを提供する。
そして協力してもらってもっと人の役に立つ。
そういう連携がしたいなあ。
大丈夫。きっとできるって!

公開:2023/07/16 最終更新:2023/07/16