手帳ってすごい!ー書き出してみるだけで、効果抜群!
今日、生徒の演習を見守る時間が続いたので、手帳の整理をした。
整理って、書き込みの整理。
書いていないものをどんどん書き足した。
私は、いつも毎日、指導にかまけてそうそう何もしていないような気になっている。
が、いつも書き出してみると、とんでもなくあれこれいろんなことをしているということに気づく。
これは、自分をちょっぴり、しっかり評価してあげるということにつながる。
手帳は2冊ある。
師匠がポッドキャストで話しておられた。
バーチカルタイプの、とりあえずスケジュールを書き込むための手帳。
ご丁寧にも18か月分ある。
だいたい年末は次の年度を始めるつもりで・・・、という流れらしい。
そして、もう一冊は、1日が1ページ。
要するにその日あった出来事を書いたり、それから手帳のような役割になっている。
これに私は、生徒の成績も書き込むし、お弁当のメニューも書き込むし、クリーニングに出した衣類の種類も書いている。
その日の雑感めいたものも書き込んでいる。
アマゾンプライムでさらっと観た映画や、購入したお洋服、オイルや入浴剤、ダイエットの行方なども書いている。
この手帳にはもう少し大きい意味があって、自分の価値観を洗い出し、目標設定ができるようにもなっている。
この手帳は、もとにしている本もあって、生き方を学んでいくのにも役立っている。
ただ、紙質があまり好きではない。
ただでさえ、厚いので、これ以上の紙質にしたら、さぞかし重たいことだろう。
2冊を持ち歩いているだけでも、結構な重さである。
どちらを取るか?というくらいの究極の選択の挙句にこの紙質になったものと思われる。
値段の問題もある。
この2冊揃えると、結構な値段である。
バーチカルタイプの手帳には、するべきことを付箋に書き込み、裏の方のメモ書きのページに貼っておく。
できたものから違う手帳に移すのである。
別の先生にも言われた。
変に、仕事のキャパが大きいから、あれこれいっぺんにやってしまうんじゃない?
とりあえず、手帳に書き込んで、そのスケジュールがある暇では、そのことは考えない、というようにしたら?
と言ってもらった。
それはそうだなあ・・・、と思っている。
数学やりながら、英語を気にしている生徒みたいになってしまうので、英語やる時間が来るまでは英語のことを気にしない、というようなことだと思う。
今日、朝から、ダルダルしながらも、あれこれ片付けたことを手帳に書き込んでいた。
書いてみると、その一つのことが、立派な仕事になっている。
大したことではなく思われるし、大した作業とは思っていないけれど、一つ一つを書き出してみると、小さなことが仕事としてしっかり認知される。
思えばここ数年、もしかしたらコロナにも絡んでかもしれないが、一つ一つの小さなことを、一つ一つができた喜びを感じることができにくくなっていたように思う。
先日出版社の方ともお話していたけれど、人と会わずになんとかしようとしてしまって、会うことが面倒くさくなってしまっているという風潮について話しておられた。
ご多聞に漏れず、私もネットでお買い物しようとしていたし、ネットで何とかということになって、友人とも会わないでいる時間のなんと長かったことだろうか。
人が介在しないことには味わいがない。
だから心に残らないし、心に響かない。
そのためか、一つ一つの作業というか一つ一つ自分の仕上げることのできたことに、感動がなさ過ぎて、これを仕上げた自分、というものへの喜びが欠如していたなあ、とつくづく思った。
その時々でいろんなツールがある。
自分の仕事や勉強の進捗状況を把握したリ、小さな家族を思う自分の努力をしっかり認めたり、誰かへのプレゼントを選んだ喜びを胸に刻んだり、自分が一つ一つのことを味わっていくためのツール。
生徒が、自分がしている勉強を視覚化して、効率を図る一方、それは、自分がしっかりと何事かを仕上げて言っている、その営みの視覚化でもある。
世の中が変わって、今までのやり方が通用しなくなっているのなら、それはそれで工夫しなければならないと思う。
王道の手帳に書き込むこと。
アナログだからこそ、いい。
スマホに、メモしていくのもいいけれど、やはりデジタルはデジタル。
ただの情報になりがちである。
そうではなく、事柄としてではなくて、しっかり味わうための日々の出来事として書き込む、というのは本当に大事なことである。
ある意味自分の存在に関わることとして。