お知らせ

いつも深刻になり切れなくて、ズッコケて終わりな私・・・。あああ。

今朝、今回は深刻になると決めていた朝、ちょっとしたことで明るい気分になり、もうそろそろ深刻になろうと試みるのは諦めようかなあ・・・、と思い始めた。
結構落ち込んだり、悩んだりして、遠い関係の人は心配してくれたりするけれど、常日頃冷たいと思っている家族は、きっと慣れっこになっているのだということに気づきだした。
まゆみの悩み事には付き合うな。
という格言があり、
何言ってんのよ!
私が悩んでも誰も深刻に受け止めてくれないのは何よ!
と思って来たけれど、今朝ほど私のズッコケ具合には呆れたときはなく、だから、私が何を言っても取り合ってくれないのだな、とわかった。

土台無理なのである。
乗り越えてしまうから。
それも、あまりにちょっとしたことでしあわせな気分になってしまうので、悩みが持続しない。
本人は、結構真剣に悩んでいるつもりなのだけれど、そんなおセンチになっているときに限って、何か物にぶつかって、ズッコケてしまったり、新たに小さなおもしろいことを見つけて楽しくなってしまったり、今回は正義感発動して、その問題発言をした人に何か言ってしまいそうだな・・・、と自分でも危険性を感じているときに限って、真正面から受け止めていたはずの自分の身を、ちょっと肩をずらすかのように、風よけでもするかのように、身体を逸らして、そして、幾分自分を客観的に見てしまう癖があるのである。

何かを乗り越えたら、またこいつはイケる、とばかりに、次の試練(おそらくは乗り越えたら面白そうなこと。)がやってくる。
本当は、それをこそ望んでいるのかもしれない。
そろそろ落ち着きたいものだけれど、もう一方で、何かに深刻ぶるのはやめて、それは性格そのものの通り、楽しくしあわせを感じて生きていくのもいいのではないかと思う。

そういえば、子どもたちも生まれたばかりの頃、娘はうふふうふふと笑っていたし、息子は、おっぱいが出なくてもミルクを与えられない、母乳育児を実践している病院の方針で、やせ細りながら、ケタケタと笑い出していた。

よく、呑気だと言われるけれど、こういう気質は、引き継がせてしまっているのかもしれない。
所詮深刻になり切れないのなら、もうやめよう!
だって、DNAレベルで引き継がれるほどに、そういう気質なのだから。

公開:2023/01/26 最終更新:2023/01/26