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教師の悩みどころ・・・。ーある日ツイッターの投稿に気づかされたこと。心療内科の先生のお話に納得。

教師として、悩むことがあります。
これがプライベートなら悩まない。

夏に再会した女性がいました。
その人と話した後、私はなんとも言えぬ罪悪感を感じてしまったのです。
なんとかその人を立てようとして、あるいは励まそうとして、どんどん違うところにハマっていき、私はその後疲労困憊して、同じようなお付き合いをしている人に相談しました。

私は類型論で語ることが苦手です。
職業で人を見ることもできたら避けたい。
けども、どの職業の人とやり取りしなければならず、なんとかうまくコミュニケーションを取ろうとして、戸惑ったときには、やはりその類型論をどこかで使ってしまうこともあります。

憧れを込めて、私はその類型を褒めたつもりでした。
相手の属する場を。
それが、反対に取られてしまったようで、
そんな人は○○にはいません!
と言われて、褒めたつもりが、どうも違う側面から貶したかのようなお話になっているようで、でも、これほど細心の注意を払いながら、それでもこうなるのなら、どの道どういう話になっても、私はハマっていただろうと思ったわけです。

その話をしていたら、卒業生が、
ああ、いるんですよねー。どうしたって相手を加害者にしてしまう人って・・・。
頭のいい彼女はそう分析してくれました。

それで思い出したのでした。
ツイッターでの投稿で、あまりにピン!と来たものがありました。
なんでも心療内科医によるものだったのだけれど、小さいときにネグレクトや、貧困など家庭環境に問題があった場合、周りの人の育ってきた環境が理解できず、家族で旅行なんておかしいよね、と言ったりなど、ごく普通のご家庭でなされることを不思議に思い、対立してしまう。そして、その対立している自分と共感する人が出てくると、やはり自分は間違っていなかった、と自分の考えを強化するし、共感する人がいなかった場合は、孤独を強めてしまうのだそうです。

どの道孤独なわけか・・・。
その考え方を相対的に見る方法はないのだろうか?

その夏に再会した人は、話を聞いていると、周りが間違っているように思えているのだな、とわかりました。
でも、知っている限り、お家でネグレクトがあるわけでも貧困があるわけでもありません。
ただ、しんどいということだけはわかっていました。
そして、私が、おこがましい話だけれど、ある程度は支えていたこともわかっているのです。
新たな世界に飛び出して、新しい人間関係を構築していくに当たり、私がお付き合いを続けることが正しいのかどうか少しばかり悩みを見せています。
ご自分が正しい、と強化されても行けないし、というより、今の私の立ち位置的に、話せば彼女の肯定感を低めてしまうでしょう。
でも、会わなければ、支えがなくなったようにもなるだろうし、かといって、普通の人間関係だったら、言ってはいけない表現もしているのを放っておいていいものか?

これが普通のプライベートでの人間関係なら、話は簡単です。
負担になって来ていたら止めます。
ただでさえ、私ははっきりしないものをまあまあ、となあなあでやっていくことが苦手です。
とはいえ、喧嘩も好きではないから、そうそう感情を露わにするわけではないけれど。

離れてもダメかな?
でも、続けることもためにならないような気がします。
というより、私の気持ちが続くかどうかがわかりません。
これが仕事なら、割り切ってするべきことをします。
ある種の仕事という客観性も持ち得るし、また、仕事ゆえに言えることも出てきます。
仕事なら、基本的に継続していくことになります。

本当にどうすればいいのか、悩みどころではあります。

公開:2022/12/29 最終更新:2022/12/29